英語好きニートからお金持ちになる記録帳

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英語が好きなニートが社会復帰、お金を稼ぐ記録です。毎日更新します。書評や気なった表現、ゲームなど好きなことを書いてます。

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今日の活動記録と博士課程の話

8/3快晴

8/4快晴

 

2日併せてですが、昨日母校に行ったことを書いたら長くなってしまいました。

そのため前に多読だけまとめると

昨日も今日もRoald Dahlを読んで

The Giraffe and the Pelly and Meは187wpm

The Twitsは152wpmで遅かったです。

Roald Dahlはチャーリーとチョコレート工場が有名ですね。

多読では人気で他にも何冊か読んでいて

Mtildaが好きで去年も読んだし、また読みたいと思います。

 Roald Dahl についてはRoald Dahl Fansが役に立ちます。

昨日は100点で

今日は90点です。

 

以下が昨日の話で、博士課程のことを書いたら長くなってしまいました。

博士課程に行く人には大事だけど、それ以外人には

そんな世界なのかという話です。

博士課程行きたい高校生や大学生は必見かもです。

何かとりとめない話になってしまいました。

でも、それだけ色々ありました。

 

3日は、多読もしましたが、母校の大学に用があってお出かけです。

晴れてよかったです。

色々気まずいから、行かないだけで

久しぶりに電車で行ったところ、すごい近くでした笑

恩師にお土産を持って会って来ました。

一応、現状も話しましけど、そんな事言われても感じでした笑笑

相談に行ったわけではないのでいいですが。

5年以上は行ってないので、学校も街もだいぶ変わっていました。

実験はしていたけど、生徒さんはいませんでした。

以前は、土日も結構いましたが、時代が違いますかね。

 

自分以前にも博士を取れなかった人がいるのですが、

その中の1人が学位の為に仕事を辞めたらしいです。

どこで学位を取るかどうするかは聞きませんでしたが、

普通よりも難しく、論文が3本くらいは必要になってくるとのことでした。

先輩ですが、現状は知りません。

今の研究室でも10年以上前の方なので

まずテーマを決めて、実験して論文を出してだと

4-5年はかかりそうだけど

社会人時代に頼る別の研究室が出来たのでしょうか。

気になるところです。

 

N先生が自分の指導教官で、

O先生がN先生と先輩の指導教官になり、

自分が学生のときにO先生が退職された流れです。

しかし、O先生は研究室に好きなときに来て、

自分の面倒をよく見てくれたというか、N先生の許可なく

私の実験やテーマを決めてくれました笑

私は当然、O先生に意見は出来ないし、

N先生も従わざるを得ないことになり、

険悪なりませんが、N先生には軽い感じだけど、

不満的なことは言われましたね。

 

O先生は昔は厳しくて、修士でも3-4年は当たり前で、

あんまり先輩とは仲が良くありませんでした。

O先生がどう思っていたかわからないけど

先輩は相当不満があり、実験も迷走するし

逃亡したりして6年はいました。

 

O先生は自分のときには優しくなっていましたが、

人使いは悪く、なぜか自分は秘書的な位置になり、

実験よりもメールや発表の資料作り、設備、私用の雑務をしていました。

今思うと、ブラック企業みたいな勤務時間だったけど、

当時は疑問に感じませんでした。

今も嫌ではないけど、よくやっていたなあと思います。

まあもう思い出ですね。

 

他にも博士課程は色々な人たちがいたけど、

変な人が多かったし、3年で取れた人は殆どいないんですね。

3年でいけたのはN先生と留学生のみです。

留学生は国費留学で、出身大学との関係もあり、

基本的に3年で取らせることが前提の様でした。

取れないと面倒なことになると言ったいました。

そのため実験のテーマも、最初から短期で

結果出そうなものを選んで、取らせてあげるという風でした。

予め終わりから逆算して

1年目には実験をして、国内の学会で発表して、

遅くとも1年半後には雑誌用の論文の執筆を初めて、半年から1年で完成させて

2年目の終わりか3年めの前期には論文が出る目処がたっていることになります。

その間に、何か国際学会があるので、そこで発表が出来ていれば問題はなく、

最低でもポスターは出している状態です。

3年目の後半は学位用の論文をまとめ初めて、実験はもうしないか、

やっても確認などで、論文の審査員も甘い感じの人選をしていました。

 

これが日本人の博士だと、自分の研究室の看板を背負うことになるので、

研究者として恥ずかしくないようにしたり、

学位取得後の面倒も考えたりあって、厳しかったです。

テーマも独創性や新規性も求められて、

場合によっては実験の結果も出るかどうかもわからないものになって、

二転三転しました。

特に、先輩と自分はO先生の興味で、かなり変わっていました。

普通は修士から同じものを続けるのですが、

先輩も自分もそもそも1年のうちにテーマが決まっていませんでした笑

実験装置も立ち上げたりすることにもなると

それだけで1年はかかったりして、すぐに6年コースになりますね。

結果、2年の終わりには6年でも取れないと自分でわかります(T_T)

 

N先生は、設計や工作にも細かくて、

物理よりプログラムや電気などに厳しいかったです。

加工の精度や見た目のきれいさを言われるのですが、

自分は、図面を描かないで、いきなり目分量で穴を開けたりして、

計測できればいい性格なので、実験前にダメ出しを何度もくらいました。

プログラムは作るだけならいいけど、物理的な理解は壊滅で

電気工作、回路は最悪なので、無理でした。

 

修士まではN先生もゆるい感じでしたが、

博士は厳しかったです。

仲は良好でしたが、結局辞めてしまいました。

当時のポスドクの人も博士課程は反対されましたが、

案の定という結果です。

 

博士課程に行っていると他の研究室の学生との交流も随分ありますが、

自分の周りでも3年は1-2人で、4-5年でも優秀、

6年でも取れたら、まあいい方かな。

研究室の卒業生で、博士取得者の人数を調べたり、

聞けば取れるか取れないかは大体わかります。

進路まで判れば、ある程度の予測も出来ますが、

他のところで、ポスドクを経てさらに数年掛かるため

実際に研究者になれるかは、それだけではわかりませんね。

歴史のある研究室で、有名なところであれば、

研究室出身者を追っていっても、

見えない破れた人たちがたくさんいるはずです。

 

私の1つ上の先輩はしっかり調査して

それで修士進学のときに学内の別の研究室に移っていました。

その方は3年で取れました、

博士でOBOGの多い一般企業に就職して転職していました。

 

N先生の初めての博士の生徒が自分だったのも、

問題でN先生は自分の指導力も気にしていたけど、

自分の方もちょっと問題のある教え子だったかな。

実際に文学部中退で、年齢も高いし、

物理もよくわかっていないかった。

 

大学院も推薦入学だったので

大学の成績も良い方でした。

しかし、力学、電磁気学量子力学の成績はギリギリで、

語学など関係ない科目でGDPを稼ぎました。

専門も成績が良いものは理解はしておらず、

暗記か採点方法が特殊なものでした。

そもそも自分でも普通の院試だと

絶対落ちるのはわかっていたので、

博士は行くつもりで、推薦を狙って成績をとっていました。

推薦が駄目なときは他大に得意科目でいけるところを考えていました。

博士課程も試験はありますが、

英語TOEICと発表で、同じ学科の先生が発表に参加しますが、

受け入れ先の教授が問題なければ基本は受かる、ザル試験です。

TOEICも問題はありませんでしたが、

理系の学生は英語を苦手とする人が多く、

自分の前年の生徒で1人、英語が0点の人がいて、

会議で合格させるか落とすか、流石に問題になったそうです。

結局、指導教官が面倒は見ると強く言って通したそうです。

 

比較的仲の良い研究室は、

それなりに博士が取れていましたが、

それでも4-5年が半分くらいで、

取得した人も、自分の研究室など同じ分野の知り合い同士で

ポスドクのとして面倒をみていました。

このポスドクの2-3年の間に、実力と運、コネがあれば

准教授、助教授の道が得られます。

博士を取っても、ポスドクで、色々巡って職がなく、

一般企業に行く人も多かったです。

 

コネは非常に大切で、一般応募で

応募者が複数いるときでも、

本当は出来レースだったのを見たこともあります。

 

O先生も、昔は随分コネがあったようで

古い先輩はそれなりに研究機関に入っていました。

最後の方は随分、お気に入りのポスドクもいましたが、

行く先を用意出来ませんでした。

 

自分の周りで

6年で取れず、行方不明が多く感じますね。

修士の結果で3年でいけそうかは

おおよそ判りますが

本人は3年のつもりでも

実際に進学して、ちょっと実験の進行に問題が起こると

すぐに1年は遅れてしまいます。

しかし、進学した以上は辞めるわけにもいかず、

4年でもと、2年目には思って頑張っても上手くいかないですね。

しかも問題は博士になっても行く先があるかないかが、

そのときになってみないとわからないところです。

 

いきなり、准教授、助教授は本当に1%もないのではないでしょうか。

自分も知っていますが、ない話ではないけど

まあ普通はないよねって話ですね。

 

研究者になりたいと言っていた学生は多いけど、

現実をみて

ほとんど修士で就職していきましたね。

 

上手く3年だとしても

学部4年、修士2年、博士3年で、

大学だけでも9年、

研究室が4年生からでも6年ですから、

長いですね。

まして6年だと、最低でも12年で、

学部、修士でもつまずいているとエライことになります。

国立理系で留年率が高いと有名でしたが、

大学にしっかり来て、レポートを出してさえいれば

入学できる人であれば、学部は問題と思います。

それでも8年生は同じクラスにもいて、

自分が博士のときに4年生でした。

30人くらいのクラスで5人程度が1留5年で、

2人が2留6年、1人が3留7年で、1人が4留8年、

1人が中退で行方不明という割合でした。

理由はわかりませんが、他のクラスだと4年生のときに自殺の人もいて驚きました。

4年生のときに、学内での飛び降りも1件は実際に聞いていますが、

それ以外は、内密で処理されたりしているので

噂はあっても本当のところはわかりませんね。

 

厳しい先生だったり、研究室の学生、ポスドクとの関係が良くないと

修士で辞めることもありますね。

修士は2年で、短いですが、

1/4の半年は授業もあるし、その後は就活も半年から1年もあり、

実体験も短いですが、就活や実験が上手くいかないで

参ってしまう人は多かったです。

修士だと就活さえ耐えれば、なんとかなりそうですが、難しいですね。

学会発表や合宿とか様々行事があったり、

ミーティングで、厳しい質問されたりあり、優秀な人より

あまり気にしない図太い人の方が修士は有利ですね。

厳しい研究室でも、条件さえ満たせばいいと考えて、

必要最低限のことはやって、

研究室に最低限来ていれば大方は卒業出来てました。

辞める人がいる研究室は、

ほぼ毎年中退者がいて同じ研究室であることが多かったですね。

 

修士になると泊まったり、徹夜する人も増えて、

土日に来る人も多かったです。

修士のときは、みな外部の発表よりも

ミーティングなど内部の発表の方がイヤがっていました。

外部は分野が違う人もいて、質問も厳しくなく、

発表時間、質問時間も終わりがあります。

しかし、内部だと、全員が専門家なので質問も厳しく、

先生が満足するまで、終わらないところもあり、本当に延々と続くところあります。

夜になっても終わらないとか、次回に持ち越されたなんてことも普通でした。

当然、誰もが発表は避けたいのですが、

修士の人数が少ないと最悪で、毎回の様になることも珍しくありません。

 毎週の様に、実験の進捗状況を言うのですが、

上手い人は進んでいなくても、なんとかごまかしていました。

進んでいないなら、

はっきり言った方が注意か怒られてもそれ以上は何もないのですが、

変な受け答えをすると泥沼でした。

厳しい先生で、泣いても止めない人もいましたね。

当然、その学生は最終的に辞めてました。

博士まで行かなくても、研究室選びは重要ですね。

 

やはり修士とは違って

博士過程の学生の人数も少なく、

ポスドクに近い存在で、少し学部生だと近寄りがたいですね。

研究室の雰囲気はポスドクや博士課程の生徒で決まっていました。

ここらへんの人が友好的で、修士に仲間がいるとなんとかやっていけますね。

オンラインゲームをみんなでやったり、麻雀したり、

部屋で鍋したり、映画みたりなんてところもあったりして

遊ぶこともあったりします。

 

研究室によってはお昼も先生からみんな一緒、

学会に行くのも一緒ってところもありますが、

自分の研究室は、結構自由で、学会に行くのも別、泊まりも別で

ある意味楽でした。

海外でも飛行機も泊まりも別で、逆に苦労したこともありますね。

年齢も20歳を超えているので、飲み会も多いけど、

お金はほぼ先生持ちでした。

 

楽しいこともあるけど、

修士も大変、博士はもっと大変でした。

N先生は学部生は参加賞

修士は努力賞と言って

学部生は来ていれば

修士は実験していれば卒業はさせてくれてました。

しかし、博士は違って甘くないけど

学位を取っても意味ないと言ってました。

どうしても研究者になりたくって、

本当に好きな人でも取れて役立てることは難しいですね。

アイドルや画家になる夢ほど反対はされませんが、

博士課程も成功するや稼げる確率は変わらないですね。

 

The Giraffe and the Pelly and Me

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The Twits

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